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インカ道トレッキング その1


 クスコを定刻通り朝7時にビスタードーム2(外国人旅行客専用展望列車)は出発し、午前10時半マチュピチュへついた。車中、クスコ在住の梅野氏(ガイド、ケーナ製作家)とケーナ作り談義が弾んだ。氏はとても太いケナーチョ持参していた。何でも、以前マチュピチュの山にもケーナ材(バンブー)を取りに来ていたそうである。

 1日目は氏のガイドのもと、ゆっくりマチュピチュ遺跡を見学した。泊まりは麓のマチュピチュ村(旧アグアスカリエンテス・直訳すると熱い水、実際温泉がある、風邪をひくといけないので行かなかった)のホテル。夕方から村を散策。青物市場、屋台を見学。
 傍をウルバンバ川がゴウゴウと音をたて流れていてやかましかった。雨季のせいだろうが、すぐに寝付いてしまった。
 
 2日目私は付近のインカ道をトレッキングした。同行者(カミサン)は私と別行動をとり、ワイナピチュ(遺跡の背後にそびえる尖塔的山、若い峰という意味、因みにマチュピチュとは老いた峰)に登ってくると喜び勇んで出かけた。直前まで私はワイナピチュ同行を望んだが、彼女は「アナタには危ないから」と、押し切られてしまった形。実際、鎖場、急斜面の連続だったそうだ。

 マチュピチュ遺跡は、結構人が多く、にぎやかだが(日帰りの人が集中するお昼近くは大混雑)インカ道トレッキングまで足を伸ばす人は僅かで、本当に静かなトレッキングとなる。おりしも、霧がでてきて、幻想的な雰囲気でとてもよい。日本時間にあたる大晦日・新年の2007年1月1日午前0時ごろは、インカ道を霧に包まれて一人歩いたのだった。(ペルー時間ではその時旧年の12月31日午前10時頃)

 「来し方行く末」を考えながら静かに歩いたのだった。

マチュピチュ遺跡のアンデネス(段々畑)の擁壁の横を通りインカ道へと入る。
マチュピチュ遺跡からインカ道を望む
がけ崩れの縦線と斜め横に走る白い線がそれ
山をトラバース気味にやや登りの連続
箱根の石畳のような道がずっと続く
バンブーの細いものが生えている。
遺跡の屋根の一部はこれで葺いたと推察されているそうだ。
はるかかなたにワイナピチュが見える。
一日400人までという入山制限があるようだが、「朝一」で行ったし、多分カミサンが登っている最中
下山後聞くと、霧の晴れ間から遺跡が一望の下に見えたそうだ
霧の晴れ間からウルバンバ川が見える
泊まったホテルは画像の下の川のほとりにあった
マチュピチュは「複合世界遺産」(遺跡だけでなく動植物もそれに指定)に登録されている。原種のランの花がそこかしこに咲いている。
こちらはベゴニアの原種
インディヘナの女性トレッキングガイド氏は花がお好きとみえて、しきりに立ち止まり教えてくれる。疲れた体には一服の清涼剤
ガイド氏に聞くと、この石葺きと擁壁はインカ時代そのままだという
緩やかな登り、時には急峻な登り2時間弱の後、インティプンクに到着
インティプンクはインカ時代の「見張り所・関所」といわれている。標高2720メートル

おりしもインカ道トレッキングツアー(クスカからマチュピチュまでキャンプしながら至る、1週間ぐらい?)の先行ポーター隊がいて、後から来るお客さんのためにお茶を沸かそうとしていた。
ここから先、インカの首都クスコへと延々と道は続く
擁壁はお見事というしかない
インティプンクからもと来た道を引き返す
帰り道
断崖絶壁を慎重に進む
自己責任で柵なんていうものは無い
ワイルド
ようやくマチュピチュ遺跡が見えてきた
1時間半ぐらい

インカ道トレッキングその2「インカブリッジ」(落とし橋)を目指せ!!に続く

この稿平成19年1月15日・19日記す)

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